SNOWLOGの日記

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阿佐ヶ谷文士について。

 
ogikubo-bunshi.a.la9.jp


 井伏鱒二の盗作問題を調べていたら

阿佐ヶ谷文士について興味をもったので

一寸書こうと思った。

 阿佐ヶ谷文士がいたところは

現在の杉並区である。

 私は杉並区には地縁も血縁もない。

書源という深夜0時まで営業していた

書店があったことは

記憶している。

 六本木の青山ブックセンターのように

深夜まで営業していた書店は

平成初期には少なかった。

 中央線の書店ということもあるのか

サブカルチャーは充実した

品揃えだったと記憶する。



 阿佐ヶ谷文士に興味がある人も

すくないだろう。

 興味があるのは

研究者か地元の人か

一部の文学愛好家だろう。

阿佐ヶ谷文士は

最初は

阿佐ヶ谷将棋会という将棋愛好の

グループが集まった。

上記サイトで紹介されている作家の中で

今もその作品が読まれているのは

井伏鱒二太宰治だけだろう。

 私が名を知ってるのは

井伏、太宰の他には

浅見淵、外村繁、青柳瑞穂、田畑修一郎上林暁亀井勝一郎

くらいである。

 作品を読んでいるのは

外村繁、田畑修一郎上林暁くらいだ。

亀井勝一郎は国語の教材で評論か

なにかを読んだ記憶がある。

 もうほとんど

知られていない作家ばかりになったのだった。

 大田区馬込文士村を知ってはいたが

阿佐ヶ谷のほうは

ほとんど知らなかった。

  気になるのは外村繁と田畑修一郎である。

上林暁は病妻ものの私小説でそれなりに

著名な作家であった。

 外村繁は第三高等学校東京大学

梶井基次郎や中谷孝雄と同窓だった。同人誌を

やっていた。

 私は外村を梶井や中谷の友人くらいにしか

おもっていなかった。

 三人で写っている写真が有名である。

読んだのも講談社文芸文庫で平成4年くらいに

出たのを読んだと記憶している。

 昭和36年になくなっているので

いまでは青空文庫で読める。

 田畑修一郎は東北に取材中に急病で早くに亡くなった作家という

ことだけを知っている。

 「鳥羽家の子供」を読んでいる。

明治の文豪も今は広く読まれているのは

漱石や鴎外くらいだろう。

 阿佐ヶ谷文士も多くいたのだが

今では数人しか読まれていない。

そこはなぜなのだろうかと

考えてはみたい(特に田畑修一郎については)。


 こういうどうでもいいであろうことについては

筆が進む。よくないことだと思う。


 最後まで読んでいただいて

ありがとうございます。